エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
松坂大輔の“輝かしい全盛期と切ない故障禍の記録” 「投げまくって鍛える昭和の大投手」という一時代の終わり(広尾晃)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
松坂大輔の“輝かしい全盛期と切ない故障禍の記録” 「投げまくって鍛える昭和の大投手」という一時代の終わり(広尾晃)
筆者の知人に、小学校時代、2歳年下の松坂大輔と多摩川の河川敷で野球をした経験がある人がいる。 「そ... 筆者の知人に、小学校時代、2歳年下の松坂大輔と多摩川の河川敷で野球をした経験がある人がいる。 「そのころから全然別ものだった」 酔うと必ずその話をする。 横浜高校、西武ライオンズ、侍ジャパン、ボストン・レッドソックス。松坂大輔はいろいろなユニフォームを着て、胸のすくような活躍をした。大げさな言い方をすれば、同時代を生きた野球ファンの心には「それぞれの松坂大輔が住んでいる」のかもしれない。 しかし、ここ近年の松坂大輔の雄姿を見た人は、ほとんどいない。2015年にMLBからソフトバンクに日本球界復帰して以降、松坂は一軍公式戦では7シーズンで14試合しか投げていないのだ。 見方を変えれば、それだけの長い時間、松坂大輔は「再起へ向けて苦しんできた」と言うことができるかもしれない。 98年甲子園から09年WBCまでの偉大な実績 記録を子細に見てみると――松坂大輔の最盛期としてのキャリアは、1998年