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大谷翔平「日本ハムにお世話になります」までの舞台裏…“可能性ゼロ”から交渉を続けた元GMが10年越しに明かす「とてつもなく長い45日間」(佐藤春佳)
惜しくもMVP獲得を逃したが、メジャーリーグで史上初めて投手と打者のW規定到達という偉業を成し遂げた... 惜しくもMVP獲得を逃したが、メジャーリーグで史上初めて投手と打者のW規定到達という偉業を成し遂げた大谷翔平。今を輝くスーパースターが、プロ野球ドラフト会議で指名を受けたのはちょうど10年前の2012年10月25日のことだ。花巻東高校から直接のメジャー挑戦を希望し、国内球団の入団について「可能性はゼロ」と表明するなか、強行指名したのが北海道日本ハムファイターズ。粘り強く交渉を行い、大逆転で入団にこぎつけた当時のゼネラルマネージャー(GM)で、現在はスカウト顧問をつとめる山田正雄氏に、当時の交渉秘話を聞いた。(全3回の#1/#2、#3へ) 「この間、大谷のお父さんにメールを打ったんですよ。“日本ハムで5年、アメリカで5年。早いもんですね”ってね。あれから10年ですか。本当に頑張りましたね。もちろん、まだまだ途中ですけれどね……」 優しい表情で山田氏は語りだした。 10年前の10月26日。ドラ
2022/11/21 リンク