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本能寺の変を歌川国芳が描いてみた。|太田記念美術館
本能寺の変は、天正10年(1582)6月2日、京都の本能寺に滞在していた織田信長に対し、家臣である明智光秀... 本能寺の変は、天正10年(1582)6月2日、京都の本能寺に滞在していた織田信長に対し、家臣である明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件のことです。寝込みを襲われた信長は、自ら弓を取って戦うものの、多勢に無勢のため、寺に火を放ち、自害しました。NHK大河ドラマでもクライマックスの一つとなる、歴史上でも重要な出来事です。 さて、この本能寺の変の様子を、江戸時代の浮世絵師である歌川国芳が絵画化しているのですが、登場する人物たちは、私たちが想像している本能寺の変とは、かなり違うようです。 まずは歌川国芳の浮世絵を見てみましょう。題名は「堀川夜討ノ図」。右上に、明智光秀の軍勢に包囲されて追い詰められている織田信長が描かれているように見えますが…。 そのそばに描かれている人物名をよく読むと、「伊豫守源義経」とあります。織田信長ではなく、源義経なのです。 しかも、画面の左の方には、源義経の家臣である武蔵
2021/01/26 リンク