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なぜ日本の禅には暴力的な匂いがするのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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考える名無しさん 鈴木大拙は、ニューエイジ思想の人だという印象があります。確か、大東亜戦争について... 考える名無しさん 鈴木大拙は、ニューエイジ思想の人だという印象があります。確か、大東亜戦争についても、推進・肯定派に与していた人だったような。生死の区分さえも無考えに無化、解除してしまうと、犬死にも大往生も、生きるも死ぬも関係ないような世界が誕生してしまうから、この手の思想も、少し注意して扱わないといけないと思う。 新興宗教のライフスペースの教祖もそんな感じで、信者か誰かの死体を目の当たりにしても、そうした生死の区分はこの世的なカテゴリーで、現実には、魂としては今でも生きている状態だから何の問題もないみたいな謬った理路に陥ってしまう。 心が壊れても大丈夫なように座禅という身体訓練をすると書き込みにあったけど、その理路であれば座禅など組むよりは、プロのアスリートのように全身を鍛え上げた方がいい訳であって、それとは違う意味があるのでしょう。 写経、読経、なぜ、同じことを延々と繰り返すのか。洗脳