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神を否定する者たち『ヴィンランド・サガ』『プラネテス』における愛の正体
目次縁起とは何か 存在証明としての関係性『プラネテス』ハチマキ、タナベの「悟り」の境地ロックスミ... 目次縁起とは何か 存在証明としての関係性『プラネテス』ハチマキ、タナベの「悟り」の境地ロックスミスは、神をどう否定するか『ヴィンランド・サガ』に受け継がれるハチマキ、ロックスミスの意志幸村誠の描く「愛」の本質トルフィンたちは「ヴィンランド」に至るのか 突然ですが、『プラネテス』のこのシーンは幸村誠作品における「神の不在」を象徴しています。 ……といきなり言われても意味が分からないと思いますので、少し解説させて下さい。 まず、神とは何か。一言でいうならば、人智を超えた絶対的存在です。 多神教における様々な神々や、アニミズム的な自然に宿るとされる神など、神という日本語には複数の意味合いが付随していますが、ここでは一神教における神、すなわち“God”という意味での神です。 絶対的存在とは、ドイツの哲学者・カントの言葉を借りるなら「アプリオリ」な存在。アプリオリとは、経験に先立つ第一原理として存在
2020/07/27 リンク