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家康の重臣・石川数正はスパイになったわけではない…なぜ秀吉のヘッドハンティングに応じて転職したのか 戦国武士と江戸時代の武士の決定的な違い
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家康の重臣・石川数正はスパイになったわけではない…なぜ秀吉のヘッドハンティングに応じて転職したのか 戦国武士と江戸時代の武士の決定的な違い
NHK大河ドラマで描かれるように、徳川家康の家臣団には強い絆があり、主君を献身的にサポートしていたと... NHK大河ドラマで描かれるように、徳川家康の家臣団には強い絆があり、主君を献身的にサポートしていたと思われている。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「戦国武士は、忠実であることが要求された江戸時代の武士とは違う。現在の会社員のように、自分の働きを評価してくれない主人なら見限っても構わないという価値観で動いていた」という――。 ※本稿は、本郷和人『徳川家康という人』(河出新書)の一部を再編集したものです。 徳川家臣団に激震が走ったナンバー2・石川数正の出奔 家康とその家臣の関係を考える上で忘れてはならない事件は「石川数正の出奔」です。石川数正は酒井忠次と並んで、徳川家康を支える二本柱のひとつのような存在でした。ただし筆頭はやはり酒井。序列的には石川はそれに次ぐ。 たとえば松平のルーツは安祥で、家康のお祖父さんの代から岡崎が本拠地。この安祥と岡崎は、三河の中でも「西三河」という地域になりま