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「ルール無視のバカ自転車」はどうすれば撲滅できるのか…有効そうな「自転車免許」ではまったく意味がない理由 「バカでもとれる免許」をつくっても税金のムダ (2ページ目)
まずは、そもそもの免許、つまり「国家が○○することを免じて、許す」という意味をまずは考えなくてはな... まずは、そもそもの免許、つまり「国家が○○することを免じて、許す」という意味をまずは考えなくてはなるまい。 クルマの免許というのは、国が「移動手段の自由」を制限することの裏返しだ。ではなぜ制限するのか。それはクルマというものはそのまま走らせるには危なすぎるから。 クルマは危険だから、基本的に公道を走ってはならないものである、と、これが基本だ。 「免じて許す」の意味を考えよ だが、そうして「全部、ダメ」とするには、クルマは、あまりに便利で、あまりに社会の利益に資する点が多すぎる。 であるからして、クルマを安全に運転するだけの技量を有し、運転するに際してのルール厳守を誓った者だけに、一般公道をクルマで通行することを“免じて”“許す”。 これが免許だ。 あえて刺激的な言い方をするなら、クルマというものは、免許が必要なほどに、危険で未完成なものなのである。 だから「こちとら免許があるんだ、ドケドケ
2024/04/02 リンク