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【メキシコ史】貧しい先住民のために戦った匪賊マヌエル・ロサダ - 歴ログ -世界史専門ブログ-
「メキシコのロビン・フッド」と称される匪賊のリーダー マヌエル・ロサダ(1829-1873)は、メキシコ・... 「メキシコのロビン・フッド」と称される匪賊のリーダー マヌエル・ロサダ(1829-1873)は、メキシコ・ハリスコ州(現ナヤリ州)の東部山岳地帯アリカを拠点に共和国政府に対して反乱を起こした匪賊のリーダー。 大土地所有者によって土地を奪われた先住民や農民を糾合して州政府軍と戦い、一時はハリスコ州テピック地域の事実上の統治者にまでなりました。 しかし先住民共同地区の解体を進める自由主義者との戦いに敗れ、最期は処刑されています。 政府や軍、大土地所有者からはロサダは「盗賊・無法者・犯罪者」とみなされていますが、貧しい人々や先住民からは「救世主・義賊」とみなされており、現代でもメキシコ国内でその評価が割れる人物でもあります。 1. コソ泥から正義の盗賊へ Work by TUBS マヌエル・ロサダは1828年にテピック近郊の村、サンルイスの生まれ。 彼の出自には諸説あり、両親共に先住民コ-ラ族と
2018/06/04 リンク