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江戸を大都市にした天海が、街に仕込んだ「秘密の仕掛け」
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要所に封じた地鎮信仰 さらに天海は、陰陽道の力のみならず、実はもう1つ、大きな力を用いました。それ... 要所に封じた地鎮信仰 さらに天海は、陰陽道の力のみならず、実はもう1つ、大きな力を用いました。それは、遥か昔の平安時代に関東一円を席巻し、「新皇」と称した平将門公の力でした。 将門公は桓武天皇の子孫の血筋でありながら、天慶3年(940)に叛乱者として討ち取られ、京都の七条河原で晒し首となりました。その首は関東にいた愛人を慕って飛び去り、今の東京都千代田区大手町一丁目にある首塚の場所に落ちた後、津波や洪水などの災いをもたらすという伝説を生んで人々から恐れられました。 天海は江戸の町づくりを進めるにあたって、この将門公の力を借ります。 首塚の地の近隣には神田神社があり、将門公の胴体を祀っていましたが(一説では、神田とは「からだ」に由来するとも言われています)、天海は首塚はそのまま残して、先ほど述べた通り神田神社を湯島の地に移しました。実はここに、江戸の町を守護する仕組みが隠されているのです。