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傀儡か賢君か…最後の源氏将軍・源実朝の「知られざる実像」
源実朝公御首塚(神奈川県秦野市) 日本史上初の本格的な武家政権である鎌倉幕府では、創設者頼朝の源氏... 源実朝公御首塚(神奈川県秦野市) 日本史上初の本格的な武家政権である鎌倉幕府では、創設者頼朝の源氏の血統は三代で途絶え、継承されなかった。 その断絶に至るまでの幕府内の権力闘争の歴史を描いた1冊、坂井孝一氏による『源氏将軍断絶』より、最後の源氏将軍「源実朝」の実像について語っていただいた。 ※本稿は、坂井孝一著『源氏将軍断絶』(PHP新書)の一部を抜粋・編集したものです。 為政者としての実朝評 ここで、同時代や鎌倉後期・南北朝期の人々が、実朝を為政者としてどのように評価していたのか確認しておきたい。 まず、同時代史料の『六代勝事記』である。高倉から後堀河までの「六代」に起きた「勝事」(人の耳目を驚かせた出来事)をまとめた作品で、著者は確定していないが、承久の乱直後の成立であることがわかっている。その実朝評は、 執権十六年の間、春の露のなさけくさばをうるほし、夏の霜の恨、折寒になす。一天風や
2021/11/13 リンク