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偶然の連続 - ねこまっさかさま
さて、前回はチャールズ・サンダース・パースを取り上げて、かれが「いやいやながらも」シェリング的な... さて、前回はチャールズ・サンダース・パースを取り上げて、かれが「いやいやながらも」シェリング的な精神と物質の一元論にまでたどりついてしまったあたりを眺めてきたのでした。 まずもってじゃあ、一元論にはつきものの、原初の一者みたいなのはなんだったかというと、パースの場合はそれを遙けき無限の太初にあった混沌とした非人格的感情と表現していたわけでした。 もし、これを非人格的な感情というのであれば、そこからわれわれの精神はどのように発現、ないしは分化してくることになるのでしょうか。 「偶然=自発性のあるところならどこにでも、それと同じ割合で感情が存在する。実際、偶然というものは、内的には感情といわれるものの外的位相にほかならないのである。その昔、わたしは実在的存在、ないし事物の本質thing-nessは規則性にあるということを示しておいた。したがって、規則性の全然ない太初の混沌は、物質的位相からする
2013/11/19 リンク