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織田信長はいつから「革命児」扱いになったのか - 明晰夢工房
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織田信長はいつから「革命児」扱いになったのか - 明晰夢工房
www.youtube.com 呉座勇一さんが信長評の変遷について語っている。この動画はかなりよくまとまっていて... www.youtube.com 呉座勇一さんが信長評の変遷について語っている。この動画はかなりよくまとまっていて、動画の後半(1:10~あたり)では信長の「革新性」は本当かを検証しているので、信長の実像を知りたい人には参考になりそうだ。今回興味を惹かれたのは前半だったので、動画の内容を追いつつ、時代ごとの信長評について見ていきたい。 江戸時代の知識人のあいだでは、信長の評判はよくなかった。彼らは信長の能力は認めつつも、倫理面で大いに問題があったとしている。小瀬甫庵は「武道のみで文をおろそかにした、家臣に対し酷薄だった」、新井白石は「天性残忍」と信長を評する。さらに白石は、足利義昭を追放した信長を「不忠」と批判する。儒教道徳が浸透し、君臣間の秩序が定まった江戸時代では、主君に逆らったものを評価するわけにはいかない。天皇の権威の高まった幕末には、頼山陽のように信長は「勤王家(=朝廷に献金してい