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案外知られていないと思われるが、実はブッダやイエスは著作を残していない。ソクラテスと孔子も同様。... 案外知られていないと思われるが、実はブッダやイエスは著作を残していない。ソクラテスと孔子も同様。枢軸時代のメインキャストは一様に文字を残さなかった。 何といっても昔の話である。ブッダの生没年さえ定かではないのだ。当時のインドには歴史という考え方が存在しなかった―― インド文明には都市があり、王権があり、文字があったのだから、歴史も成立してよさそうなものである。それなのに、歴史という文化がインドについに生まれなかったのはなぜか。この謎を解く鍵は、インド人の宗教にある。 イスラム教が入って来る前からのインドの宗教では、仏教でも、ジャイナ教でも、ヒンドゥ教でも、輪廻(サンサーラ)の思想が特徴である。六道の衆生(天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の6種類の生物)は、それぞれの寿命が終わると、生前に積んだ業(カルマ)の力によって、あるいは上等、あるいは下等の生物の形を取って生まれ変わり、一生を再び最初
2012/05/07 リンク