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1:日本パンクのゆりかごは、『ポパイ』と『ミュージック・ライフ』と原宿だった——『教養としてのパンク・ロック』第33回 by 川崎大助|光文社新書
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1:日本パンクのゆりかごは、『ポパイ』と『ミュージック・ライフ』と原宿だった——『教養としてのパンク・ロック』第33回 by 川崎大助|光文社新書
第5章:日本は「ある種の」パンク・ロック天国だった1:日本パンクのゆりかごは、『ポパイ』と『ミュ... 第5章:日本は「ある種の」パンク・ロック天国だった1:日本パンクのゆりかごは、『ポパイ』と『ミュージック・ライフ』と原宿だった「東京ロッカーズ」 最後に日本におけるパンク・ロック受容史をまとめてみよう。端的に言って、非英語圏であり非欧米圏でもある国と地域のなかで、ここまで巨大なる「広義の」パンク・ロック文化が花開いた例はほかにない。ある意味一時期の日本とは、豊かすぎる「パンク天国」だった。それは後述する「日本ならでは」の特性が大きく作用したせいだった。 そんな日本におけるパンク・シーンの「最初」について評するならば、音楽アーティスト、DJ、文筆家の高木完の簡潔なこのひとこと以上のものはない。 「日本におけるパンク・ロックなるものは、最初からポストパンクだったと言える」 雑誌『インザシティ』第十七集・高木完「ロックとロールのあいだには、、、」 第9回/ビームス・2017年より これは1978