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白雪姫と七人の小坊主達 チベット争乱「統合される側」の悲鳴
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白雪姫と七人の小坊主達 チベット争乱「統合される側」の悲鳴
ラサのチョカン(釈迦堂)で再びチベット人の血が流れた。 チョカンはラサの中心部にあり、7世紀にチベッ... ラサのチョカン(釈迦堂)で再びチベット人の血が流れた。 チョカンはラサの中心部にあり、7世紀にチベットにはじめて仏教を導入したソンツェンガムポ王とそのネパールからきた妃がたてた寺であり、ラサの街はこの釈迦堂を中心に発展し、この寺をめぐる三つの巡礼路が古ラサでもっとも人通りの多い道であった。 つまり、釈迦堂は文字通りラサの心臓のような寺である。 今回中国とチベットがぶつかったのはこの釈迦堂前の広場と真ん中の巡礼路(パルコル)である。 そして、三月十日はチベット蜂起記念日。そろそろ来るかな~と思っていたら、やっぱりきた。 1959年3月10日、ダライラマ14世は中国軍軍営から招待を受けていた。チベット人の間には、このままダライラマは北京につれていかれて、チベットからいなくなってしまうのではないかという不安がひろがった。 たしかに、ダライラマはチベット人にとってチベットの仏教と政治の最高権威者。