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「性秘儀」と「女人禁制」の密教史 -仏教の危機が生んだ思想-
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「性秘儀」と「女人禁制」の密教史 -仏教の危機が生んだ思想-
性行為を伴う儀式によって解脱や救済を求める「性秘儀(性的ヨーガ)」。 後期密教ではこの「性秘儀」が... 性行為を伴う儀式によって解脱や救済を求める「性秘儀(性的ヨーガ)」。 後期密教ではこの「性秘儀」が行われており、日本の密教でも性行為を「菩薩の境地」としている経典が使われるなど、密教は「性」に対してオープンなイメージがあります。 しかし一方で、高野山は厳しい女人禁制の地であったことも事実。この矛盾が生まれた背景には、どんな歴史があったのでしょうか? 密教と「性」のパラドックス 密教は儀式の神秘性が高く、秘密主義でもあるため、どうしてもこの「性秘儀」のイメージがまとわりついています。実際、密教の一部の流派では性秘儀で成仏できるとしており、その理念がカルト宗教にも利用されています。 一方で密教には、「不道徳な性行為を行ってはならない」という仏教の戒律を、特に厳格に守ろうとした歴史もあります。高野山が女人禁制にしていたのも、修行僧を女性から遠ざける目的があったと見られ、その結果「空海が日本に男色