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コラム:研究と家庭は両立するか - 徒然なる備忘録
優れた研究者の中には、家族の存在が研究の障害でしかないとはっきり言う人もかなりいる。考え方は人そ... 優れた研究者の中には、家族の存在が研究の障害でしかないとはっきり言う人もかなりいる。考え方は人それぞれだし、優れた研究者でもきちんと家族がある人はいくらでもいる。それでも、「研究と家庭」の関係について論じている人たちの書いたものを比較してみるとなかなか面白い。 もう30年も前にベストセラーになった、渡部昇一の『知的生活の方法』(講談社現代新書)ではこう書かれている。噴き出すこと請け合いである。 京都大学のシナ学の建設者であり、世界的なシナ学者であった内藤湖南の若いころの日常生活は、その家事の世話をしていた越津みささんによると、次のようなものであった。 『ひる頃人力車で万朝報社に出社し、二時間ばかりでもどって来た。それからずっと二階で読書、夕食に下りてもほとんどものをいわず、すむとすぐ二階に上がってしまう。十一時すぎ、みささんがお茶とお茶受けをもってゆくと、だまってうなずくので、お休みなさい