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きみまち阪
秋田県能代市二ツ井町、大きく蛇行する米代川の畔にある、かつての羽州街道の難所のひとつだったのが、... 秋田県能代市二ツ井町、大きく蛇行する米代川の畔にある、かつての羽州街道の難所のひとつだったのが、きみまち阪。地名の由来は、明治14年、明治天皇の東北御幸途中、皇后から届いた長旅の天皇を気遣い「大宮のうちにありてもあつき日を いかなる山か君はこゆらむ」としたためられた和歌に由来。 米代川の川岸にまで険しい山が迫る羽州街道の難所で、わずか1里(4km)ながら、その行程は4里にも匹敵するといわれていました。 この断崖絶壁を迂回して、「一里の渡し」と呼ばれる渡船も行なわれていたのです。 弘前藩主がこのルートで参勤交代をする際には、この難所の無事通過を弘前城まで使者が知らせたというほどだったとか。 そんな難路も、明治天皇の東北行幸の前年、山の先端を切り通して緩やかな坂道を掘削し、藤琴川に橋が架橋されています(橋は明治天皇が渡り初め)。 この地で、皇后からの恋文的な和歌を受け取った明治天皇は、それまで