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「河井夫妻裁判」と「オウム裁判」の奇妙な共通点
ところが麻原はその前日の夜になって、1人だけだった私選の弁護人を突如、解任。裁判の開始は延期となり... ところが麻原はその前日の夜になって、1人だけだった私選の弁護人を突如、解任。裁判の開始は延期となり、世間を騒がせた。そうして裁判を先延ばししている。このとき、裁判所は国選による弁護人を12人選任して、それから半年後の1996年4月24日に初公判を開いた。 公判がはじまったはいいが、今度は開廷ペースをめぐって、麻原側と裁判所がもめる。 月に6回のペースで審理を進めたい裁判所に対して、それでは準備ができない、十分な弁護活動ができないとして、麻原の弁護団が反発。ついには開廷期日に弁護人が全員出廷しないというボイコットまでして審理を止めて抵抗した。結局は月に4回のペースで裁判が進むことになる。 期日をめぐってもめるのも一緒 河井夫妻の裁判は「百日裁判」として進められてきたはずだった。選挙効力の有無にかかわるため、起訴から20日以内に初公判を開き、100日以内に判決を出すように努力しなければならない