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徳川家康、武田信玄が名将に育った幼少の過酷体験
武田家のルーツをさかのぼると、源頼義にたどり着く。その一族からは、源頼朝や足利尊氏が輩出されてい... 武田家のルーツをさかのぼると、源頼義にたどり着く。その一族からは、源頼朝や足利尊氏が輩出されている。名家中の名家である。源頼義の子孫の1人、武田信義が初代の甲斐武田氏となり、その子孫が武田家として甲斐の地に根づく。 武田信義から18代目にあたるのが、信玄の父、武田信虎である。この信虎がとにかく暴君で、暴虐の限りを尽くしたらしい。日蓮宗の僧侶が記録した『勝山記』は、山梨県の中世を研究するうえで一級の史料とされている。『勝山記』では、信虎についてこう書かれている。 「余りに悪行を成され候」 悪行とは穏やかではない。『塩山向嶽禅菴小年代記』ではより手厳しい。同書は、向嶽寺の歴代住職によって書き継がれた甲斐国の年代記で、こんな描写がなされている。 「平生悪逆非道也、国中人民・牛馬・畜類共に愁悩す」 普段から非道なことばかり行って、民衆はもちろんのことだが、牛や馬までが信虎の悪政に思い悩んでいたとい