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国道1号で最も寂しい区間?「鈴鹿峠」なぜ廃れたか 東海道の難所はまるで交通の博物館 | 乗りものニュース
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国道1号で最も寂しい区間?「鈴鹿峠」なぜ廃れたか 東海道の難所はまるで交通の博物館 | 乗りものニュース
東海道&一級国道だった鈴鹿峠、栄華の跡をたどる 400年間にわたって主要道路化と旧道化を繰り返してきた... 東海道&一級国道だった鈴鹿峠、栄華の跡をたどる 400年間にわたって主要道路化と旧道化を繰り返してきた鈴鹿峠には、その時代ごとに整備された街道・道路の痕跡を多く見ることができます。 江戸時代の東海道の名残としては、鈴鹿隧道の上にかつての鈴鹿峠の茶屋跡などがあり、峠道から片山神社・旧坂下宿へ降りる石段も往時のまま残されています。また峠から少し外れると、野盗が岩に映る人影を見て標的を定めていたという「鏡岩」も残り、この岩の近辺から見下ろす国道1号や伊勢平野は絶景です。 国道1号のバイパス整備で旧道化した場所には、1992(平成4)年以前、車両の種類によって「高速車」「中速車」「低速車」を区分していた頃の名残である道路標示「40高中」などが残っています。また、上下線が分離され一方通行となった区間の道路標識は、「一方通行」に1文字足した「一方通行路」の補助標識や、目立つ色合いの表示看板など、鈴鹿峠