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なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『初版 金枝篇』 J.G.フレイザー | 考えるための書評集
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なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『初版 金枝篇』 J.G.フレイザー | 考えるための書評集
この本でうきぼりにされるのは植物の死と再生であり、世界中から収集される風習や儀礼の事例は太古には... この本でうきぼりにされるのは植物の死と再生であり、世界中から収集される風習や儀礼の事例は太古には世界に共通した世界観や思考原理といったものがあったのではないか、ということである。 原始宗教というのはこんにちの都市民・工業社会では理解しがたいものになっているむかしや未開の人たちの思考原理を、わたしたちに概念的に理解させてくれる。 似たような風習・儀礼のたくさんに例にさすがに読んでいるうちに疲れてくる部分もあるが、この本で追究されたことはかつての世界観の根本や要であり、この本を読むことで理解が隔たりがちになっている農耕・狩猟時代の思考原理をわかるようにさせてくれる。この原始宗教はこんにちの世界観や季節行事などにところどころに顔をのぞかせるものであり、こんにちでも世界を規定している。けっして根本は滅び去ったわけではないと思う。 問題の核は「王殺し」であり、生け贄はなぜおこなわれたのか、といえるだ