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藤圭子という日本の神話――日本的土着の貧困からアメリカナイズされた豊かさへ | 考えるための書評集
藤圭子が亡くなられた。わたしが生まれて間もないころに活躍されたから、リアルタイムのすがたをほぼ知... 藤圭子が亡くなられた。わたしが生まれて間もないころに活躍されたから、リアルタイムのすがたをほぼ知らない。 気になるのは藤圭子が活動した1969年から1979年の時代背景と彼女の位置づけである。 いぜんにふたつの記事を書いた。 「昭和の歌は暗かった」 「『銭ゲバ』と70年代の貧困」 昭和のヒット曲の中にはものすごくクラい歌がいくつもあって、悲しみをこれでもかこれでもかといった競うような曲が歌われ、それが社会に共有され、共鳴されていたことが不可思議に思えてならなかった。こんにちに社会的な悲しみが共有されるということはなくて、せいぜい失恋の悲しみが表出されるくらいで、みんなで抱えもった悲しみというのはほぼなくなったのではないかと思う。 社会はいっしゅの悲しみの競争やうつ症状ともいえる状況をみんなでもとうとしていたのではないかと思えるほどだ。 そういった時代背景には貧困の共有という状況があったと思
2013/09/03 リンク