エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
昭和天皇の側近まで...陸軍親ソ派による「共産主義国家の建設」という野望
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
昭和天皇の側近まで...陸軍親ソ派による「共産主義国家の建設」という野望
敗戦間近、日本政府はこともあろうに、すでに参戦を決意していたソ連に対して、戦争終結の和平仲介を依... 敗戦間近、日本政府はこともあろうに、すでに参戦を決意していたソ連に対して、戦争終結の和平仲介を依頼することに決した。その裏には、陸軍に巣くう親ソ派、共産主義者たちの暗躍があった。 ※本稿は、岡部伸著『第二次大戦、諜報戦秘史』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。 なぜソ連参戦情報が活用されなかったのか ヤルタ会談直後にストックホルムから小野寺信少将が参謀本部に打電したソ連参戦情報は、大戦末期の日本の政策に活かされることはなかった。大本営の「奥の院」によって、握り潰されたのはこの「小野寺電」だけではない。 3月に入り、ドイツのリッベントロップ外相からソ連参戦の情報を聞いた大島浩駐ドイツ特命全権大使は、これを外務省に伝えたと、戦後に防衛庁(現防衛省)の聴取に答えたことが、「防諜ニ関スル回想聴取録」(防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室所蔵)に書かれている。 つまり、ドイツが降伏した5月