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どこまでも可愛い阿波女~瀬戸内寂聴さんを偲(しの)んで - 薄雲鈴代|論座アーカイブ
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どこまでも可愛い阿波女~瀬戸内寂聴さんを偲(しの)んで - 薄雲鈴代|論座アーカイブ
「寂聴さんのもとを訪れる一人ひとりの悩みや哀(かな)しみを聞かれて、寂聴さんはきつい口調で叱咤(... 「寂聴さんのもとを訪れる一人ひとりの悩みや哀(かな)しみを聞かれて、寂聴さんはきつい口調で叱咤(しった)されても、最後には法衣を開いて、ぎゅっと抱きしめられていました。あの慈愛に満ちた風情は、人生を生き抜かれて、仏門に入られた寂聴さんだからこそ醸し出されるものだと思います」と西田さん。 寂聴さんの存在に、元気をもらっていた人は多い。近くでは、私の母がそうであった。寂聴さんと同じ徳島の生まれで、奇(く)しくも徳島大空襲で母親を亡くし、これまた寂聴さんと同じく故郷を飛び出した女性であった。その母が、テレビなどで寂聴さんの声が流れるたびに、「あぁ、やっぱり寂聴さんは徳島の人やな」とひとり感慨に耽(ふけ)っていた。というのも、若い頃に故郷を離れて久しいのに、寂聴さんは、いくつになっても阿波弁が抜けていないというのである。 阿波弁はサ行に特徴があって、「せ」が「しぇ」になる。「先生」の発音が「しぇん