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「鬼滅の刃」の舞台「遊郭」どんなところ?消え行く建物が伝える情欲
社会現象となった「鬼滅の刃」のテレビ新シリーズの舞台が「遊郭」だとわかると、様々な反応が起こりま... 社会現象となった「鬼滅の刃」のテレビ新シリーズの舞台が「遊郭」だとわかると、様々な反応が起こりました。現代の日本人には実感が湧きにくくなりましたが、「遊郭」として使われた建物の中には、1958年に売春防止法が全面施行された後、住居などに転用されたものが少なくありません。残されたデザインから漂う当時の記憶……。幻のように消えてしまった建物を中心とした写真から、遊興の街の歴史を知る手がかりを探っていきます。(写真と文 朝日新聞フォトアーカイブ・峰哲也) 京都・橋本 京街道沿いの駅前遊廓 「鬼滅の刃」の舞台となる、現在の東京都台東区の旧吉原遊廓は戦火で壊滅し、戦前の遊廓建築=妓楼は1軒も残っていません。 一方、京街道沿いに栄えた京都府八幡市の旧橋本遊廓は戦災を逃れ、2000年に筆者が初めて現地を訪れた時も、まだかなりの密度で妓楼だった建物が軒を連ねていました。
2021/10/19 リンク