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ローマ帝国軍の戦闘の遺物、ドイツ中部で発見
ドイツ・Kalefeldで、ローマ軍の戦場だったとみられる場所から発見された、やり、矢じり、おのなどの遺... ドイツ・Kalefeldで、ローマ軍の戦場だったとみられる場所から発見された、やり、矢じり、おのなどの遺物を取材する記者団(2008年12月15日撮影)。(c)AFP/DDP/STEFAN SIMONSEN 【12月21日 AFP】ローマ帝国の3個軍団がゲルマン諸部族に敗れたトイトブルクの森(Teutoburg Forest)の戦いの後に起きたとみられるローマ軍とゲルマン部族の戦闘で使われた武具などの遺物が、ドイツ中部で見つかった。 トイトブルクの森の戦いから2009年で2000年を迎えるが、この戦いに敗れたローマ帝国は欧州北東部への領土拡大を断念し、ライン(Rhine)川まで後退して川沿いを境界とすることになったと伝えられている。今回発見された遺物は、その約200年後にあった戦いのものだ。 今回の考古学的発見のきっかけは、金属探知機を使ったアマチュア考古学者らがローマ時代の多数の武器など