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折口信夫 歌の円寂する時
ことしは寂しい春であった。目のせいか、桜の花が殊に潤(うる)んで見えた。ひき続いては出遅れた若葉... ことしは寂しい春であった。目のせいか、桜の花が殊に潤(うる)んで見えた。ひき続いては出遅れた若葉が長い事かじけ色をしていた。畏友(いゆう)島木赤彦を、湖に臨む山墓に葬ったのは、そうした木々に掩(おお)われた山際の空の、あかるく澄んだ日である。私は、それから「下(しも)の諏訪」へ下る途(みち)すがら、ふさぎの虫のかかって来るのを、却(しりぞ)けかねて居た。一段落だ。はなやかであった万葉復興の時勢が、ここに来て向きを換えるのではないか。赤彦の死は、次の気運の促しになるのではあるまいか。いや寧(むしろ)、それの暗示の、寂(しず)かな姿を示したものと見るべきなのだろう。 私は歩きながら、瞬間歌の行きついた涅槃那(ねはんな)の姿を見た。永い未来を、遥かに予(か)ねて言おうとするのは、知れきった必滅を説く事である。唯近い将来に、歌がどうなって行こうとして居るか、其が言うて見たい。まず歌壇の人たちの中で