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ルィセンコ騒動のはなし(前編) | Chem-Station (ケムステ)
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Tshozoです。何回か書いていますが、筆者が産まれたあたりに活動していた全共闘世代。大学の中を学生さ... Tshozoです。何回か書いていますが、筆者が産まれたあたりに活動していた全共闘世代。大学の中を学生さんが角棒持ち歩いて火炎瓶で警察に応戦するケースもあったという、まさに”This is 昭和”でした。それを象徴するのが東京大学安田講堂でのこの事件。これを思い出したのは敬愛する山本義隆先生のこの本を書店で見つけて読んだからなのですが、再放送当時は子供心に「ウルトラマン出てきてウルトラ水流で水かけないかなー」と不謹慎なことを思っていたものです。 このころ国家に対する「抵抗側」には、左系(共産主義)に影響されたメンバーが現在よりもだいぶいろんなところで影響力を発揮していました。今考えると色々とアレな雑誌とか主張とかみられたのですが、こうした方々が安保闘争からはじまり大学紛争とかの時代まで色んな所に頭を突っ込んで散々引っ掻き回していたわけで。 当時はまだソ連とか中国とか北とかが結構な力を維持・発