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生涯学習という皮肉 - 違う見方
以下の写真は中国の不動産企業がマレーシアで行っていた巨大開発が中国のバブル崩壊で開発が途中で頓挫... 以下の写真は中国の不動産企業がマレーシアで行っていた巨大開発が中国のバブル崩壊で開発が途中で頓挫したいわば廃墟の写真。 写真の引用は下記サイトから https://diamond.jp/articles/-/330154 巨大な城壁の建造が途中で止まったようにも、あるいは巨大なダムの建造が途中で止まったようにも見えた、わたしの目には。 そう思った時にこれまでとは違う感覚に襲われた。 バブルの崩壊とは、流れてくると思った需要やお金や人が流れてこないから起きるものだと感じていたが、そうではなくて、最初はともかく途中からはあるはずのない需要やお金や人の流れを受け止めるために作られた壁やダムの残骸なのかもしれないと。 そういう意味では90年代の日本のバブル崩壊はこのような巨大な残骸は残してなかったので今にして思うとバブルの程度も小さかったということだろう、当時はとてつもなく巨大なものが消えた感覚が