エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
江戸時代の国教「儒学」
関ヶ原の戦いが慶長5年(1600)におこりましたが、日本国内は、それから明治維新(1868)まで... 関ヶ原の戦いが慶長5年(1600)におこりましたが、日本国内は、それから明治維新(1868)まで300年近く一度も戦争がありませんでした。これは世界中どこの国にもなかったことです。多くの歴史家を初め、私たち一般人も、その理由にあまり注目していませんけれども、これは非常に重要なことです。特に、世界平和が問題になっている現在、とくと考えてみる必要のあることだと思います。 ところで、その理由というのは実に簡単です。江戸幕府が、江戸以前諸宗派に分裂していた仏教を、そのまま認めながらも、諸宗派すべてに共通する普遍的規範思想を、力をバックに、新たに導入したためです。それが儒教思想すなわち儒学の採用でした。 儒学は江戸時代以前にもありました。しかし寺僧の教養の範囲を出ませんでした。江戸幕府は、それを天下統治の普遍原理にして全国にくまなく徹底したのです。このため、儒学は江戸時代"国教"であったと言ってよい