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文学に関心ナシ、朝寝坊の悪癖、異国の夫に手紙も出さず…文豪・夏目漱石が“悪妻”・鏡子と添い遂げた深すぎる理由(2ページ目) | デイリー新潮
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文学に関心ナシ、朝寝坊の悪癖、異国の夫に手紙も出さず…文豪・夏目漱石が“悪妻”・鏡子と添い遂げた深すぎる理由(2ページ目) | デイリー新潮
英国留学の間は手紙を出さず 漱石が鏡子夫人への嫌悪感を募らせたのは、明治33年からの英国留学の間だっ... 英国留学の間は手紙を出さず 漱石が鏡子夫人への嫌悪感を募らせたのは、明治33年からの英国留学の間だったといわれている。英国へ着いた漱石がいくら手紙を出しても、鏡子からの手紙がなかなか来ない。第2子が生まれるはずであり、名前まで考えているのに、生まれたか生まれないかの便りもない。漱石は鏡子宛ての手紙にこう書いている。 「国を出てから半年許りになる 少々厭気になつて帰り度なつた 御前の手紙は二本来た許りだ 其後の消息は分らない 多分無事だらうと思つて居る 御前でも子供でも死んだら電報位は来るだらうと思つて居る」(明治34年2月20日付けの手紙より) 漱石がロンドンで神経衰弱に陥った原因は、異国の夫に面倒がって手紙すら出さない鏡子の思いやりのなさにあるというのが定説にもなっている。 とにかく鏡子夫人に関しては、芸術家を支える内助の功とか、良妻賢母という言葉からは程遠い評価がつきまとっている。一言