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【連載】 今、歴史から元気をもらおう(11)篤姫と尚五郎|Net-IB|九州企業特報
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【連載】 今、歴史から元気をもらおう(11)篤姫と尚五郎|Net-IB|九州企業特報
天保6年(1835)10月14日、喜入領主・肝付兼善の三男として尚五郎(後の小松帯刀)が生まれた... 天保6年(1835)10月14日、喜入領主・肝付兼善の三男として尚五郎(後の小松帯刀)が生まれた。同じ年の12月19日(一説には翌年の2月19日)、今和泉島津家の当主・島津忠剛の長女篤姫が誕生、一子(かつこ)と命名された。NHKの大河ドラマ「篤姫」の始めの方で、初の国入りを果たした島津斉彬が尚五郎と篤姫の誕生を祝して、それぞれに守り袋を下げ渡すシーンがある。遊び友達となった二人は、後にこの守り袋を交換する。宮尾登美子の原作にはそのような記述はないが、ドラマの中では尚五郎が篤姫に淡い慕情を寄せる描写があって物語に花を添えている。 肝付家の祖先は、その昔、都から大隈国肝属郡に派遣され、やがて土地の名前をとって「肝付」と名乗り大隈半島中部を支配するようになった。そのころ大隈半島南端の弥寝(ねじめ)には弥寝氏が勢威を誇っていた。隣の薩摩国を領する島津氏は、かねてから大隈国への進出を目論んでいた。天