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第122回 国民に天皇リコール権――「憲法草稿評林」の衝撃
いまでも鮮やかに覚えている。『憲法草稿評林』の内容を知った時の衝撃である。 すでに述べたように、一... いまでも鮮やかに覚えている。『憲法草稿評林』の内容を知った時の衝撃である。 すでに述べたように、一八八〇年(明治十三年)から八一年(同十四年)にかけ、憲法起草ブームともいうべき熱っぽい創憲運動が日本列島を覆ったが、これまでに発見されたその時期の私擬憲法草案は約四十とも約五十ともいわれる。『憲法草稿評林』もこの時期に書かれたものと推定されているが、これほど数奇な運命を感じさせ、また謎に満ちたものは他にない。 『憲法草稿評林』の発見者は、岩手大学教授だった森嘉兵衛(故人、日本経済史専攻)である。昭和四十年(一九六五年)代初め、岩手県北部の九戸地方の歴史を執筆するため史料を探していた森のもとに、千葉県市川市在住の小田清綱氏から「小田為綱文書」が持ち込まれた。小田為綱とは清綱氏の曾祖父で、九戸郡宇部村(現岩手県久慈市宇部町)出身の政治家とのふれこみであった。 岩手の歴史に詳しい森も耳にしたことがな
2015/03/03 リンク