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木曽川と長良川の合流地、かつては州俣・州股とも 難読地名「墨俣」 | 岐阜新聞Web
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木曽川と長良川の合流地、かつては州俣・州股とも 難読地名「墨俣」 | 岐阜新聞Web
岐阜県養老郡上石津町とともに2006年に大垣市に編入合併し、市の飛び地となりました。長良川沿いの... 岐阜県養老郡上石津町とともに2006年に大垣市に編入合併し、市の飛び地となりました。長良川沿いの墨俣一夜城は有名です。 かつては州俣、州股、須俣とも書き、いずれも「すのまた」と読みました。「州」は川の中にできた島を指す言葉で、一帯は網の目のように川の州が広がっていたのです。1586(天正14)年まではこの地で木曽川と長良川が合流しており、軍事上の要衝でもありました。服部真六、増田晴風著「西美濃おもしろ地名考」は「須(すべから)く州俣で、須俣ともいった。そして、その地形を描いた古地図の墨跡から、墨俣と書いた」としています。 一方、中部地名文化研究会の会誌「地名文化」16号には、明治-大正期に世に出たと推察される書物「真清探当証(ますみたんとうしょう)」に、「州」が「墨」になった手掛かりがあるとする論考が掲載されています。 (『角川日本地名大辞典』などを参照) 【答え】すのまたちょう