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終戦の夜、郡上おどり決行 心つなぐ輪市民に勇気 | 岐阜新聞Web
1945年8月15日は「郡上おどり休止」。公式な記録にはそう記載されているが、実は住民が自然と集... 1945年8月15日は「郡上おどり休止」。公式な記録にはそう記載されているが、実は住民が自然と集まり踊りの輪を広げていた。「まさに狂い踊り。あんな踊りは後にも先にもないだろう」。75年を経て、あの夜の輪に加わった和田昌三さん(88)=郡上市八幡町=が、終戦が告げられた数時間後の踊りの光景について語った。 「もう自分が戦地に行って死ななくてもすむという安堵感、負けたむなしさ、戦死者を弔う気持ち。そこは、いろいろな人がさまざまな感情を踊りで表現している空間だった」。当時13歳だった和田さんには、それが狂い踊りに見えた。 45年8月15日、久々に家々に明かりがともった郡上八幡の夜、実家近くの願蓮寺の境内から門前の通りへと踊りの輪が広がっていた。戦死者の写真が並べられた寺で慰霊の法要があり、その後、踊りが始まったようだ。屋形のおはやしはなく、互いに唄で音頭を取り合いながら、あちこちに小さな輪をつく
2020/08/17 リンク