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会って謝罪することについて考える - ジンジャーエール
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会って謝罪することについて考える - ジンジャーエール
加害者はなぜ「会って謝罪したい」と言うのだろうか? 会うことが謝罪を構成する要素の一員であり、誠意... 加害者はなぜ「会って謝罪したい」と言うのだろうか? 会うことが謝罪を構成する要素の一員であり、誠意の現れと考えているとしか思えない。「ねえこれから会わない?(*´Д`)ハァハァ」みたいな。テレクラか。電話や手紙では我慢できない!とか。思春期の恋する乙女なら可憐だがいい大人が対面は正義!面会は誠意!というのはちょっと。しかもそもそもでいうとこれほど被害者の感情を無視した話もないし危険な考えだとも思う。 もし被害者から会うことを拒否されたときに「ああそうだよな。僕にもう会いたくもないと思わせるほどひどいことをしてしまったんだ」とより深く罪を内省できるなら良い。リフレクションして相手のリアクションをせっせとコレクション。 しかしこれを会いたくない=これ以上自分にはどうしようもない=問題は解決した、とまことに自分に都合の良い脳内変換をする人もいるだろう。あるいは会ってやると言ってるのにそれを拒否す