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薄れゆくまちの記憶を、語り伝える友。記憶はあまりにも脆弱で、モノの存在はこんなにも大きい。 - 「雛形」違和感を観察する ライフジャーナル・マガジン
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薄れゆくまちの記憶を、語り伝える友。記憶はあまりにも脆弱で、モノの存在はこんなにも大きい。 - 「雛形」違和感を観察する ライフジャーナル・マガジン
いつものまちの一角に、急に、ぽかんと空いた土地。 あれ、ここってなんだったっけ。家だったっけ。お店... いつものまちの一角に、急に、ぽかんと空いた土地。 あれ、ここってなんだったっけ。家だったっけ。お店だったっけ。 思い出そうとしても、なかなか思い出せない。よくあることだ。 記憶というものはあまりにも脆弱で、モノの存在というのはこんなにも大きい。風景の喪失。そしてその喪失によって、人の記憶もどんどん薄れていく。復興はまちを元通りにしていくことに軸足を置く。震災は今、まるで「なかったこと」にも、なろうとしているのかもしれない。 柵だらけの通りをゆっくりと車で進む。空き地と、草の茂みと、崩れ落ちそうな家、立ち入り禁止のバリケードの向こうに見える立派な桜並木。今までに感じたこともない気持ちが湧きあがる。どこでもない、どこにも似ていない、ここにしかない風景。私にとっての「夜の森(よのもり)」の風景は、こうして記憶された。 一度聴いたら忘れられない福島県・富岡町の「夜の森」という地名を教えてくれたのは