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丸山真男氏 被爆の肉声 故林氏69年インタビュー録音現存
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丸山真男氏 被爆の肉声 故林氏69年インタビュー録音現存
戦後日本を代表する政治思想史家、丸山真男氏(1914~96年)が被爆体験を詳しく語った肉声記録が... 戦後日本を代表する政治思想史家、丸山真男氏(1914~96年)が被爆体験を詳しく語った肉声記録が現存していた。中国新聞記者だった林立雄氏(昨年12月に79歳で死去)が69年に録音し、保存していた。丸山氏自らは著作で広島での体験にほとんど触れていない。原爆資料館は「貴重な記録」と、遺族の協力を得て保存・活用する方針である。(編集委員・西本雅実) 丸山氏は召集で広島市宇品町(現南区)にあった陸軍船舶司令部に配属され、45年8月6日朝は司令部前の広場にいた。爆心地から約4・6キロだった。 情報班員で1等兵だった丸山氏は翌7日、トルーマン米大統領による「原子爆弾投下」のラジオ声明を傍受、9日には、廃虚と化した市中心街を報道班長や写真班員と歩いた。 インタビュー録音は、東大教授だった丸山氏が肝炎のため入院していた都内の病院で69年8月3日、約2時間行われた。証言の一部は同月5、6日付中国新聞夕刊で「