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スポーツはカレーライスに似ている 私が「努力は報われる」という言葉を嫌いなわけ
スポーツにおいて、「報われる」、つまり何かの大会で「勝つ」ことや「自己ベストを出す」瞬間というの... スポーツにおいて、「報われる」、つまり何かの大会で「勝つ」ことや「自己ベストを出す」瞬間というのは滅多にない。勝つのは一人か1チームだけだし、競技を長くやっていればいるほど、自己ベストの更新は少なくなる。つまり「負け」や、「自己ベストを更新できない」状況にどう対応するかがスポーツと言ってもいいと思う。 「努力は報われる」という言葉を文字通り受け止めると、そういう状況に陥った時に間違った判断を下してしまう。自己否定、自分は何をやっても駄目なんだという自分の未来否定だ。 努力は数値化できない。どんなに頑張っても、「努力は報われるのに負けた」となると、自分は努力したと思ってたけど、実は努力してなかったんじゃないかと考えざるを得なくなる。負けが続けば続くほど(これはスポーツでは通常)、自分を疑い、自分は自分に甘いと思い、自己否定、自分の感覚否定を深くしてしまう。そして「俺は何をやっても駄目なんだ」
2016/01/22 リンク