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【熊野孝文・米マーケット情報】大潟村 減反廃止で玉ねぎ作り|コラム|JAcom 農業協同組合新聞
久しぶりに秋田県大潟村に行ってきた。最も印象に残ったのが、長さ1000m、幅150m、面積15haと言う1筆... 久しぶりに秋田県大潟村に行ってきた。最も印象に残ったのが、長さ1000m、幅150m、面積15haと言う1筆の玉ねぎ畑を見たこと。1筆の畑の面積としては日本一大きいそうである。その面積の広さもさることながら、この畑は原野を開墾して出来上がったもので、畑の脇には巨木と言っていいほどの伐木が無造作に山積みされている。元々八郎潟を干拓してできあがった村なので、原野があったわけではない。50年前に始まった減反政策で放置された農地予定地が原野になったのであり、その面積は200haもある。その玉ねぎ畑を眺めながら、減反が廃止されるまでのこの50年とはいったい何だったのか? そうした思いが、玉ねぎ畑とオーバーラップしてしまった。 以前、若手の米穀業者30名ほどを連れて大潟村を視察したことがあり、バスの中で減反闘争について知っているか聞いたところ半数が知らなかったことに驚いてしまった。戦後農政の中でこの闘
2018/12/13 リンク