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イメージの前で 美術史の目的への問い | おすすめ書籍・本 | デザイン情報サイト[JDN]
ガストン・バシュラール『空間の詩学』やジョルジュ・アガンベン『スタンツェ―西洋文化における言葉とイ... ガストン・バシュラール『空間の詩学』やジョルジュ・アガンベン『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』など、芸術家、デザイナーにインスピレーションを与える人文書というものがある。ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの前邦訳書である『イメージ、それでもなお』もまさにそれにあたり、アウシュビッツ絶滅収容所から持ち出された4枚の写真のように、限定されたイメージから歴史を想像することの意義を説いた本書は、日本で刊行されるや表象文化界隈を中心に議論を呼んだ。 今回紹介するのは、そんなユベルマンの初期代表作。ルネッサンス期以降、学問としての美術史はいかなる知の言説として確立されたのか。ヴァザーリによる人文主義的美術史の発明から、パノフスキー的イコノロジーの成立にいたる美学の歴史を、表象の裂け目に現れるフロイト的「徴候」への眼差しを通じて批判的に解体する。 【目次】 提起される問い 第一章 単なる実践の
2012/10/17 リンク