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真珠湾攻撃と日本人スパイ/その人は吉川猛夫 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)
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真珠湾攻撃と日本人スパイ/その人は吉川猛夫 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)
取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載していま... 取材ノート ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。 1941年3月27日、日本郵船『新田丸』がホノルル港の8番ふ頭に着岸した。船からやせ型29歳の青年が降りてきた。黒髪の青年は、日本総領事館の副領事・奥田乙治郎から首飾り(レイ)をうけとった。乗客名簿にはこの青年は「森村正」と記されていた。偽名であった。本名は吉川猛夫(よしかわ たけお)である。税関を通りヌウアヌ通りの2階建ての日本総領事館に案内された。この総領事館で総領事の喜多長雄に挨拶した。森村は「chancellor」のタイトルをもらった。一等書記官だ。これは喜多と奥田だけが知っていた役職で、吉川の本当の任務ではなかった。事実、吉川は退役の海軍少尉だった。父親は警官、自身は1933年海軍兵学校出身。最初は軍艦、次いで潜水艦に勤務、さらにパイロットの訓練を受けた。途中、吉川は胃の病気に