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戦間期日本における「合理主義的平和論」の射程と限界
本稿は、戦間期日本における「反骨の平和主義者」として著名な海軍大佐水野広徳の「平和論」を再検討す... 本稿は、戦間期日本における「反骨の平和主義者」として著名な海軍大佐水野広徳の「平和論」を再検討する。 先行研究では、水野が第一次大戦の視察を契機として、「平和主義者」へと転身し、その後の水野の思想は、日本国憲法の源流の一つであるとして高く評価する見解が主流を占めてきた。しかし、「平和主義者」への転身後における水野の思想分析をほとんど行なわないまま、水野の思想を戦後と直接的に接続させることには問題がある。また、水野の論説に現れる国家自衛権の肯定や、合理的な軍備のあり方の模索といった事例は、どのように「平和主義」へ接続しうるのか、という疑問が残る。 そこで、本稿では、戦間期の水野の論説を詳細に分析することで、水野が「総力戦論者」と「平和主義者」という二つの側面を持ち、両者を結合させるものとして「戦争は利益にならない」とする「合理主義」を基底とし、「国力」という概念を通して戦争と平和を見通す「合