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平安時代の渡海制と成尋の“密航”
古代日本では渡海制と呼ばれる海外渡航制限がしかれ、出国には天皇の勅許が必要であった。ところが延久... 古代日本では渡海制と呼ばれる海外渡航制限がしかれ、出国には天皇の勅許が必要であった。ところが延久四年(一〇七二)に宋に渡った成尋については、彼と密接な関係にあった権門貴顕がその出国を忌避したため、やむなく〝密航〟したとされてきた。しかしこのような見解は十分な論証を経たものではなく、さらに成尋の出国を望まない貴族たちが一方では彼を支援していたとするなど、問題点が多い。 成尋出国の背景となる渡海制であるが、従来、これは天皇のあずかり知らぬ出国を禁止するものとされてきた。しかし、実際の事例をみると、大部分は密出国そのものには成功している。一方、密出国者が帰国した際は、官司先買権に関わる入国検査があり、これをすり抜けることは難しい環境にあった。そのため、渡海制下の出入国の実態は、密航はある程度可能だが、朝廷に把握されずに帰国するのは難しい環境であったと考えられる。 次に成尋の〝密航〟説であるが、渡