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明代「冊封」の古文書学的検討
室町幕府の首長が明皇帝によって日本国王に封じられるという、日中関係史における画期について、1402(... 室町幕府の首長が明皇帝によって日本国王に封じられるという、日中関係史における画期について、1402(建文4)年でなく1404(永楽2)年が正しいとする学説が有力になっている。しかしそれらは厳密な史料の読みに裏づけられた学説とはいいがたい。 根拠とする史料が原態からどれくらい隔たっているかを正確に測定しながら、一歩一歩史実を確定していくという、古文書学的な手法を用いて検証してみると、1404年説を採った場合に受封者と認定しうるのは、足利義満・豊臣秀吉の二人しか残らない。室町幕府の首長が東アジアの国際社会で日本国王として承認されるという、「封」の実質を重視する観点からは、1402年のほうがはるかに重要な画期である。皇帝が「封」の実質を実現するために発給する文書には、誥命・詔書・勅諭など、対象者のランクに応じて多様な様式が使い分けられていた。 琉球の中山・山南・山北の三王に目を転じると、三山相互