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《東京語る。》無意識に染み込む「東京」と異国の音楽 音楽家・細野晴臣さん |
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これまで、多岐にわたる音楽を世に出し続けてきた細野晴臣さんは、昨年デビュー50周年を迎えた。そんな... これまで、多岐にわたる音楽を世に出し続けてきた細野晴臣さんは、昨年デビュー50周年を迎えた。そんな細野さんは東京・白金出身。細野さんの人生遍歴を通して、東京のエッセンスは何かを見つける。 注:本記事の取材は、2020年2月17日に行われました。 (聞き手=山本啓太) 異国との接点はラジオ ―細野さんは、終戦間もない1947年に東京・白金にお生まれになったそうですが、幼少期の記憶にある東京の風景はありますか。 僕が生まれたのは病院ではなくて、お産婆さんに取り上げられたんです。そのお産婆さんがいるあたりが長屋になっていて、今も利庵というお蕎麦屋さんが長屋の面影を残しています。 よく「いい所にお住まいですね」と言われますけど、普通の街だったんですよ。商店街があって長屋っぽいものもあって、どこの街とも変わらない普通の街だった。当時は原っぱばっかりでしたね。僕の世代はベビーブームなんで、子供たちがい