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傷痍軍人がパラの原点 64年五輪の活躍が1冊に | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞
箱根療養所の資料を調べる井上さん=小田原市栄町 開幕まで1年を切った東京パラリンピックだが、19... 箱根療養所の資料を調べる井上さん=小田原市栄町 開幕まで1年を切った東京パラリンピックだが、1964年の東京大会に国立箱根療養所(現・国立病院機構箱根病院=小田原市風祭)から傷痍(しょうい)軍人を含む19人が出場し、大活躍したことは地元でもあまり知られていない。これらの事実をまとめ、来年夏の出版に向けて準備している「戦時下の小田原地方を記録する会」は「日本開催を契機にパラリンピックの歴史と、箱根療養所が果たした役割を知ってほしい」と話している。 パラリンピックのルーツは、第2次大戦後の英国で脊髄損傷の傷痍軍人専門のストーク・マンデビル病院が48年のロンドン五輪に合わせて院内で開いたアーチェリー大会とされる。 この大会が国際化し、60年には五輪と同じ都市で開催するようになり、64年の東京大会で「パラリンピック」と名付けられた。「パラ」は当時、下半身まひを意味する「パラプレジア」から取られた。
2020/01/12 リンク