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著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授) 本コラムのネタ収集のため、小学校低学年の娘に、漢字を習って... 著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授) 本コラムのネタ収集のため、小学校低学年の娘に、漢字を習って何か不思議に思うところがないかヒアリングを行った。すると、数字の“1”、“2”、“3”は「一」、「二」、「三」なのに、なぜ“4”は4本線ではなく、「四」と書くのかとの質問を投げかけられた。そこで今号から3回に分けて、この問題について考えてみたい。 まず指摘しておきたいのは、殷代(紀元前13世紀~紀元前11世紀)の甲骨文では、“4”は「四」ではなく、4本の横線を縦に重ねた「」を用いる。次の西周時代(紀元前11世紀~紀元前771年)において、漢字資料の主たるものは青銅器に鋳込まれた「金文」と呼ばれるものであるが、そこでも“4”は4本線の「」で書く。“4”を「四」で書くようになったのは、次の春秋時代(紀元前771年~紀元前453年)を待たねばならない。その後、秦代(紀元前221年~紀元前202年)ま