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神戸新聞NEXT|明石|主要駅駅舎立地に廃城令が関係? 明石城と明石駅の深い縁
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神戸新聞NEXT|明石|主要駅駅舎立地に廃城令が関係? 明石城と明石駅の深い縁
明治26年の「明治新撰播磨名所図絵」。明石城の南に明石駅と汽車が描かれている(明石市立文化博物館... 明治26年の「明治新撰播磨名所図絵」。明石城の南に明石駅と汽車が描かれている(明石市立文化博物館提供) 130年前の1888(明治21)年、明石駅(兵庫県明石市大明石町1)は開業した。2019年に築城400年を迎える明石城と同駅の成り立ちには、切っても切れない因縁がある。その因縁をひもといた。(小西隆久) 明石駅は1888(明治21)年11月1日、旧山陽鉄道の兵庫-明石間の開通に伴って開業した。 山陽鉄道は、同年1月に設立された民営の鉄道会社。後に三井銀行で経営改革などを成し遂げる実業家、中上川彦次郎が初代社長に就いた。寝台急行や食堂車などを国内で初めて導入したことでも知られる。 近代化を急ぐ政府によって1906年に国有化され、社名は消えたが、現在もJR山陽線の路線名に面影を残す。 明石駅が建てられたのは城の内堀のすぐ南側。なぜこの場所が選ばれたのか、経緯を示す資料は残っていない。 当時、